家族との会話が一番難しい時

家族の存在ってありがたいよね。
上手くいっているとき、当たり前の毎日を平和に過ごしているときはね。

もう、感謝する言葉を使わなくたって、
感謝の気持ちで満たされているわけだし、、

それが、何かの事で問題が発生すると、

いつも良い方向でした考えなかったほとんどの事が
真逆の視点から見つめるようになる。

そうなったらあとは、愚痴と文句の連続。

最近、私と私の大切な友人に起こった家族の事件。

示し合わせたわけじゃないのに、同じようなことがそれぞれの家族に起こった。

子供が未来の方向性を見失い苦しんでいるということ。

そして、お互いの目の前の問題のために話をした。

そしたらあることに気が付いた。

私が、彼女にアドバイスしているとき

それは、すでに第三者の立場であるがためとても冷静な立ち位置から
上手く柔らかく、誠実に、

相手の苦しさも、そしてその問題の当事者である彼女の気持ちにも十二分に
配慮して言葉が出てくるのである。

その時、この言葉は自分に対するアドバイス
自分の潜在意識の裏側にある解決のヒントとなる言葉だとわかったのである。

母親はどうしても、子供を未来に向かわせるのに最短の、
より痛みのない
なだらかな道のりを歩かせようとお節介を焼いてしまう。

歩いているのは、子供たちなのに、
いちいちと、

そうなったらこうなるのよ。
そんな考えでいきたらこんなことになってしまうわよ。

と、

母親は未来が見える占い師か?

あなたに何がわかる?
って子供たちは言いたかっただろう!

私たちが伝えたかったのは、選択することへの否定ではなく
その選択が自分の内側から出てきたことであることの責任

自分で選んだからこそ、何かがあっても自分の心と相談して生きて欲しいと・・・。

捨てセリフのNO1
『ならば、好きにしなさい』

ともよく言っている。

この言葉はある意味あっている。しかし、最後の捨てセリフとして使うものではない。

ならば、
   は余分。

((((((((好きにしていい、、、、)))))))

好きな事のために、好きに生きるために、
片付けなくてはならない様々な事、時にやりたくない事をやりなさい

という事なんだ。

客観的であることの大切さは、多くの本にも成功者の人も言っている。

でも、今回私と私の大切な友人が同時に類似の問題に直面したこと。
それによって、大切な者通しお互いにかけ合った言葉の行き先は

自分自身だったのだと・・・・。

分かっちゃいるんだけど、、、

が、よりお腹の深いところで理解できた。

腹落ちした今日の日の朝。

全ての子供には、輝ける可能性がある。
私の子供も友人の子供の、そのために今日もただひたすらに応援する。

いってきま~す。

今日は、3女の園でお昼を一緒に食べる日です。

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喜稀今日子

3人の女の子の母親です。葬儀社の経営の仕事をしながら子育てと地域活動に参加しています。忙しといいながら、プライベートでの新しいことへのチャレンジは必須です。
新しい発見を発信していけたらいいです。
喜稀 今日子(きき きょうこ)

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