なぜマレーシア part2

なぜマレーシア つづき・・・・。
昨日はなんだか、マレーシアの旅行本みたいに、ある意味誰もがわかってることばかり羅列してしまったような気がしています。

実は、私がマレーシアに興味を持ったのは、今から遡ること何5年間になります。

私たち夫婦が「奈良に行こう」と決めたには理由があって、実はそうめんで有名な三輪エリアに、山そのものが御神体となっている大三輪大社と言う霊山があります。そのエネルギーの溢れたパワースポットに行ってみたい がその理由でした。


大三輪大社を訪れ、霊山を登った夜、奈良の商店街に繰り出した私たち。ものすごく古い居酒屋さん発見。そこに行くのが決まっているように居酒屋の のれんをくぐりました。
その時、隣に座っていた外国人との何気ない会話がスタート。
彼女はとてつもない大きなカメラを片手に、自己紹介で、ミットライドクライシスを迎えたの私 と言い、、仕事を辞め世界各地を旅してていました。

彼女は、居酒屋でどんなものを食すか?メニューの選択を迷っているようでした。そこで、すでに大量に頼んでしまった食事を一緒に食すことにしました。

その彼女がマレーシア人でした
その時はまだ、子供たちは小学生・中学生で、マレーシア留学の事など全く頭の中にはありませんでした。

それから何年か経って、子供たちが行く学校が、1年留学を推奨している学校だったため、留学準備に入らなくてはならなくなりました。学校からの斡旋は、ニュージーランド、もしくは先進国、またはその学校と関わりのある学校です。

私は小さな頃から、なぜだか当たり前のものに違和感を感じてしまう。
そんな時、これからのマレーシアはいいよ。(だってキャサリン妃「イギリス王妃」だって留学してた場所だもん。
単純な私はこの言葉が、マレーシアと言う国を私の隣に引き寄ることとなったのです。

途端に、奈良の居酒屋で出会った彼女が
マレーシア人
だったことを思い出しました。

ここから、彼女に向かって情報収集をスタート。その時点で彼女はニューヨーク。Messengerを使って、マレーシアの教育環境についてあれこれ あれこれと聞くこととなりました。

出会いの場所

https://tabelog.com/nara/A2901/A290101/29000023/

 

この記事を書いた人

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喜稀今日子

3人の女の子の母親です。葬儀社の経営の仕事をしながら子育てと地域活動に参加しています。忙しといいながら、プライベートでの新しいことへのチャレンジは必須です。
新しい発見を発信していけたらいいです。
喜稀 今日子(きき きょうこ)

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