表現がいけないのか?受け取り手の問題なのか?

sunset

友人が通う日本のインターナショナルスクールでの光景。
その学校の主な生徒構成は、外国人60%日本人40%ぐらいだと思う。

その日の宿題はこういったものだった。家に帰ったら家族に聞いてまとめてみよう。
「今私たちが生きる時代と、母親や父親が生きてきた時代で失われてしまったもの、更に増えたものについて考えてまとめましょう。」

こういった課題が出た場合、ほとんどの日本人の母親から先生に質問が入るらしい。
〇具体的には何の変化を聞いているのですか?
〇宿題はきちんと箇条書きにて教えてもらえますか?
などなど・・・・・。

ただしく意図をつかみ、間違えた答えを出したくないと思う日本人的な発想。

普通であれば、その課題を行うのに疑問が残っていれば、子供が自ら先生に聞きに行けばいいし、先生との会話の中から見えてくるものはたくさんあるだろう。しかし、その課題が出たときはザクっと受け取り、具体的に想像しないまま家に帰り、いざやろうと思うとわからなくなり、 「母親 登場)))))」))))))))   」というサイクルなのだろう。

さて娘のケース。
担当教諭はきっと、「あなたが助けた必要ならば、
“If you need a help….”
“If you want to……”
この時間に私はここにいるので、会いに来るようにしてね」こんな風に伝えたのだろう。その背景としては、もちろん遅れをとっている状態の娘は,当然その場に現れることを大前提として。

しかし、娘は、必要ならば、あなたがそうしたければの文章から行くもいかないも私次第。課題進んでないし、見せられる成果もないから行かないでおこう・・。
となったのだと思う。

この度、私がしたアドバイスはこうだった。
今のあなたの状態はとにかく遅れをとっているにもかかわらず、その遅れに対して、の時間の割き方や真剣さが足りていないという評価が下っている。毎日 Miss.Kate(担当教諭) に会いに行って。あなたの方に用事がなくても、とにかく行きなさい。毎日よ。毎日行くことがとても大切だから。
さて、それから1週間がたった。うまく事は運んでいるだろうか?

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喜稀今日子

3人の女の子の母親です。葬儀社の経営の仕事をしながら子育てと地域活動に参加しています。忙しといいながら、プライベートでの新しいことへのチャレンジは必須です。
新しい発見を発信していけたらいいです。
喜稀 今日子(きき きょうこ)

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