3.11マレーシアから日本を思う。外から見るからより感じること。

3月11日
ちょうど7年前 東日本大震災がおこった。テレビには、映画の一コマかと思うような
現実とは思えない状況が繰り返し流れていた。

多くの方が震災による影響で、それまで当たり前の生活を手放すこととなった。
しばらくの間は、テレビ影響やメディアの影響で、」被害からの復興や、原発との共存について考えない日はなかった。
その当時は自分事だった。

が、しかしも恐ろしい出来事はどこか他県の出来事となっていき、日々過ぎていく中で記憶の隅に置き去りにしたようにも感じる。

今朝、Instagramのストーリーに娘が震災についてのコメントをあげているのを見た。

マレーシアにいる娘からしたら、日本で起こる今も過去も自分事としてとらえているように思えた。
日本に住み続けていたらどうだったのだろうか?
日本ではない場所に住んでいるから、俯瞰して物事を見る目が育ち、自分事の幅がひろがったのか?
それとも暖かな気候に、心が穏やかになり周りをよく見つめるようになったのか?

子供の視野の広がりに、親として頼もしく感じる私。子供にさっさと追い越されないように私の枠を広げようと感じたのだった。

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喜稀今日子

3人の女の子の母親です。葬儀社の経営の仕事をしながら子育てと地域活動に参加しています。忙しといいながら、プライベートでの新しいことへのチャレンジは必須です。
新しい発見を発信していけたらいいです。
喜稀 今日子(きき きょうこ)

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