一人では輝けない

昔も今も変わらない自分なりの生き方みたいなのって誰にでもあるはず。
私にとってそれは、家庭教師との時間を持つことによる
自分自身の成長へのサポートである。

子供でもあるまいし、家庭教師って思うかもしれない。
でも、これまで私が自分の才能を自分以上に発揮できた裏側には
家庭教師の存在が欠かせなかった。

家庭教師っていうと高額で、特別な人だけのものって思うかもしれないが、
私が伝えたいのはちょっと違ったニュアンスで、

教える側と教えられる側が1対1の関係で、

先生が生徒の特性に合った形で教え方をプログラムするとういう手法の事を言いたい。

だから、通常の出会いの中にだって私の家庭教師になる人がたくさんいる。

誰もが塾に通う事は、一度は経験するのだろうが私の場合は、
塾に通う代わりに、小さな時から家庭教師の存在がとても近くにあった。

最初の家庭教師の先生は、近くの喫茶店の娘さんで教師になるため、

その経験のために私の先生として選ばれた。
彼女の与えられるものと、出来の悪い私のための能力UPのためという私の母親とのニーズが一致したところでスタートしたのだろう。

教えるのを経験出来て、アルバイトになるなら みたいな感じで

とてもカジュアルなものだった気がする。

確か小学校 5年生の時だった。
喫茶店の個室で勉強するときやら、
私の家で勉強するときやら、場所も色々で

普通の人の考える家庭教師=ロッテンマイヤーさん
みたいな厳しいイメージは全くない。

で、私は彼女と勉強をしていたのだろうが、

記憶の中には会話の数々しか残っていない。
その中でも一番記憶に残っているのは、彼女から教えてもらった

オフコースというグループの存在。

あんなころ、小学生で英語の勉強している子なんてまずいなかった。
オフコース=Of course=もちろん

まずはこの響きになんだがときめきを感じた。
5年生で『もちろん』を使う事のカッコよさ、

他の子より背伸びしている感がたまらなかった。

そのオフコースの曲を、レコード盤で聞かせてもらった。

LP盤がくるくる回って痛そうな針が黒い盤の上に降りる。

僕からの贈り物

歌詞

冬と夏の間に春をおきました。
だから春は少しだけ 中途半端なんです。

と始まるこの歌詞。

冬と夏の間に春をおくという言い回し、、、、




じゃなくてね。

子供心に初めて『せつない』と感じた瞬間だったかもしれない。

切なくなったのは、この歌に先生の解説があったからかもしれないし、
彼女がオフコースの大ファンだったからこからかもしれない。
だからこそ、この歌が特別な物になったのかもしれない。

それでも、この表現に魅せられ言葉の持つ力の凄さに圧倒された私は
昔も今も、言葉を大切に影響を与えられる人

言葉遣いたちに惹かれる。

そして、自分自身も言葉を使って表現することを大切にしている。

あの時、子ども扱いされて
オフコースを聴かせてもらえなったら?!

きっと、
言葉の魅力に惹かれることなく、

このようにブログなど書こうと思う事もなかったかもしれない。

私という人間は、一人では完結することができず
出会いの中で、師と言われる人の存在によって創り上げられていく・・・。

出会いは偶然ではなく
必然であると考える。日曜日の今日も積極的に出会いにいこう。

外には新しい師がまだまだたくさんいるはずだから。

この記事を書いた人

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喜稀今日子

3人の女の子の母親です。葬儀社の経営の仕事をしながら子育てと地域活動に参加しています。忙しといいながら、プライベートでの新しいことへのチャレンジは必須です。
新しい発見を発信していけたらいいです。
喜稀 今日子(きき きょうこ)

詳しくはこちらにどうぞ。