旅立った後に残せるもの

昨日、友人のお葬式に行ってきました。享年51歳の彼。死因は、転んだ時にあばら骨が折れていてその手当で病院には行ったものの、その時に発見できなかった内部 胸骨付近の多量出血によるショック死となっていた。

連絡が来たときは本当にびっくりした。

その友人は友人と言っても、私たち家族が会うのは一年に一度のことだ。

私たちの住む街で開催される、一年に一度のビックイベント
彼がはだか祭りに参加して もはや12年。

その一日の再会を12年間続けてきた関係だ。

12年というと,
干支一回り。

たった一日の事だが、その一日にはそれぞれの一年が凝縮されていて
お互いの報告に何とも感慨深いものとなる。

一昨年前、彼の体調不良はピークの状態で、
裸男になることを断念して女性陣に交じり撮影班として参加した。

そして、今年は体調復活となり、再び祭りに参加した。彼は大いに酔っぱらっていた。

その日は、参加者 15人ほどの裸男がほとんど酔っぱらうので

(2月または3月開催の祭り、時に雪、雨の日もあり酒なしではやってられない)
酔う事自体は当たり前すぎることなのだが、
その日の彼は度を超す酔っぱらいで少し心配したことを覚えている。

それでも、楽しく穏やかな彼の酔っぱらった姿がとてもチャーミングだった。

これが、私と彼の最後である。

その時、最後になるなんてもちろん誰も思わないわけだが、、、、、、。

そうなんだ。

この感覚が私は人より敏感である。
葬儀屋で生まれた私は、この日が最後という感覚が誰にもまして強い。

彼のケース。
突然の旅立ち、本人さえも驚くような準備がでいない別れに何度ともなく立ち会ってきたこと。

この強烈な経験の繰り返しが、この起こるかもしれない悲しい現実は
他人ごとではないという認識を私に強烈に植え付けたのである。

夫とお葬儀に参列した。

折れている足には、3か月ヒールはダメと先生には言われていたが、
彼のためにヒールを履いた。

友人を代表して弔辞がささげられた。

『世の中の誰一人として君の悪口を言う人はいない』
この言葉が印象的だった。

彼はそういう人だった。誰からも愛され、人といる時に相手を幸せにする雰囲気を持った人だった。
私の小さな子供たちは、一年に一度訪れる彼の膝の間に座るのが大好きだった。

大人も子供も彼の幸せなオーラに巻き込まれていく不思議な魅力を持った彼

そして、喪主となった彼の自慢のお嬢さんの挨拶から、

一枚の便せんを出し、喪主挨拶の定型文

(私は葬儀屋なので、
ひな型を良く知ったいるためこの表現をあえてする)

が読まれた。

一つ一つの文字を本当に丁寧に、、、。

そして、その便せんを二つに折りたたんで、

ゆっくりと、
ゆっくりと

彼女の言葉が始まった。

『父は、本当に優しい父で叱られた記憶は一度もありません
どんな頼み事も聞いてくれた、そして私たちがやりたいことをすべて、
お前たちのやりたいようにやったらいいと言ってくれた父でした。

私たちは、お父さんとお母さんの子供で生まれてきて本当に幸せです』

と、、、、、。

人が旅立った後残せるもの。

それは思い出しかない。

物質的なものはもちろん、そこに残された人の人生を豊かにする手助けにはなるだろう。

しかし、それも使ってしまえばやがて無くなる。

しかし、思い出という宝物だけは それぞれの心にしっかりと生き続けていく。

生きている間にどんな関係があったか?
それが、残された人の心にのこる思い出と繋がる。

もし、今日で私の人生が終わるなら、

今日も私はそれを想う。

やり残しがないように、自分の心に素直であれるように、

お酒の好きだった彼、

今年の裸祭りのふんどしは、彼の好きな色を準備して皆に巻いてもらおうと思っている。

そして、来年のその日は彼の思い出に浸りながら、
彼の思い出と過ごし
未来の思い出を作る日にしようと今から決めている。

この記事を書いた人

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喜稀今日子

3人の女の子の母親です。葬儀社の経営の仕事をしながら子育てと地域活動に参加しています。忙しといいながら、プライベートでの新しいことへのチャレンジは必須です。
新しい発見を発信していけたらいいです。
喜稀 今日子(きき きょうこ)

詳しくはこちらにどうぞ。