母の生まれは、岐阜県の白川町という白川茶が有名な緑が美しい田舎である。
母が、この地に移り住んできて、葬儀という仕事についたことで、昼、夜にかかわらず働く毎日の中、
もともと体が強い方ではなかった母を心配した祖母は、私の妹が生まれた頃に、お手伝いに来てくれた。それから母の仕事と子育ての過酷さを、見て見ぬ振りができなくなり、私たちの母親代わりとなって成長を見守ってくれた。
その祖父は、私の三女が生まれた年に旅立った。
そして、今日が祖母の五年祭の日。
ゴールデンウィークで渋滞にはまり、皆がそろうのが予定より大幅に遅れるというハプニングがあったが、山の人達にとっては、慌てるという感覚がないのか?!それともそれが心遣いなのか?!
『年寄りにはたくさんの時間があるから、皆がそろうまで待ちましょう』
と誰も慌てるでもなく、お茶を飲み、久しぶりの再会を祝っているようにも見えた。
皆がそろい、儀式が始まる。
母方は、神式である。
私は神式の祝詞が好きだ。
なぜなら、神官さんが何をいっているのかが明確で、ほとんどの場合は物語であるからだ。
神官さんは、生前中の祖母を良く知っているらしく、祝詞から、私が知らなかった祖母をたくさん知ることとなった。
祖母がその家に嫁いだのは太平洋戦争が始まった年らしい。大変な時代にお嫁入した若かった祖母。この家でどんな毎日を過ごしたのだろうか?
夏休み、この家に遊びに来ると、家からつながる下までの道は、ラベンダーが咲き乱れていた記憶がある。その下の駄菓子屋さんに行くのが楽しみだったことを思い出した。
神官さんの祝詞物語は、生まれてから、どんな幼少期を過ごし、どんな学生時代だったか、お嫁入した頃の話 そして、お嫁入した後の彼女の人生、母親としての姿、妻として夫に尽くす姿などが鮮明に語られた。祝詞はそのまま、私の家にお手伝いに来てくれたところに進んでいき、晩年の祖母の人生が鮮やかに綴られていく。
我慢強かった祖母
家庭のどのことに関してもプロ並みだった祖母
お菓子の空き箱やもらった袋を取っておくのが好きだった祖母
私にとっての想いでの祖母は、実際にはそれぞれの心にまた別の色どりで生きている。
今日は、繋がれ行く命に感謝をせずにはいられない日となった。
祖母が私たちに残してくれたもの。
祖母がもたらした大きな愛は、祖母の子供である私の母たちがどんな時も仲良く、それぞれの世帯ができた今でも、変わらぬ協力体制にあることではないかと改めて感じた。
おばあちゃん、今日は夢でお話しできないかな?!