今年は、雨がしっかりと降った後に良いお天気が続いていて、桜の咲いている時期がいつもより長く感じています。
マレーシアに転校した娘たちとも、毎年お弁当をもって花見をしていました。夜桜を見る機会の方が多かったのですが、
花見の楽しさはやはり桜の下のお弁当かもしれません。
今年は、夫、三女と三人で桜を見ようと 夜お弁当をもって出かけました。近くの神社の参道がとても美しく私たちの定番の場所です。
が、ライトアップされていないため桜を眺めることができませんでした。
そこで、あきらめることができなかった私たちは、一番近いお城まで足を延ばし桜に合うことができました。
満開の桜。桜並木の中に立ちその咲き誇る姿に圧倒されながら、それでも優しい気持ちになるのは、桜の花が自己主張しすぎず、咲く花と花の間から見える空模様とのバランスにもあるのかもしれない。
桜と月
そして、咲く時間が限られているからこそ、満開の桜を見つめながらも散るという終わりを思わせてしまう儚さ。
桜は、咲いている間だけ美しいのではなく、春風に誘われ舞うように散りゆく姿もまたたまらない。
そして、雨が降った後、水たまりに桜の花びらが落ちているのを確認すると、本格的な春がそこに来たことを思わずにいられなくなる。
ところで、マレーシアには桜は咲かない。
桜は、厳しい冬を過ごさなくては咲かない。咲くために厳しさを乗り越えていく強さ、それなのに咲いている時間がひと時、それが桜の魅力なのだろう。
四季があることの素晴らしさを感じる花見日和の夜だった。
そして、夜桜がライトアップされなくては見物ができないという当たり前のことが私には驚きだった。
娘たちよ。君たちは咲く桜になるのかい?それとも主役を輝かせるライトのような存在になるのかい?その両方があることで夜桜は完結する。