優子ちゃん。
優子ちゃんを一言でいうと、
必要なものだけを、本当に良いものだけを
近くにおいてシンプルに生きている人。
ミニマリスト
う~ん。ちょっと違うような気がするけど、ニュアンスとしてはいい線いってる。
そうね。
『事足りる』
を十分知っている人。
私は当時も今もとても寂しがりやで、人と過ごすことが好きだった。
それに比べ、優子ちゃんは自分の時間を豊かに過ごすことが得意だった。
彼女の凛とした生き方そのものが、私にはとても刺激的だった。
淡々(あっさり、こだわらない)
粛々(おごそかに、しずかに)
が似合う。
私なんて、毎日生きて一喜一憂して
日々が大事件みたいに生きているのに比べ、本当にスマートな彼女。
こういう表現をすると、
冷静を通り越して冷酷のような受け取られ方をするのかもしれないが、
彼女の内面にはパッションが溢れている。
ね、素敵でしょ。
そう簡単にはこんな方に会えないと思うわ。
その彼女に教えてもらったのは、時間の遣い方である。
誰もが平等に与えられている、
一日24時間
一週間7日
一年365日
この時間をどのように遣うかだ。
彼女が先生となって、こうしなさいと言ったわけではなく。
彼女の日々の生活スタイルを見ている間に自然と学んだこと。
価値のある人との時間は大切に
時に何も生まないおつきあいはほどほどに
無駄なことは極力省き
無駄と判断するためには、それが長期的に有効かどうか、
現段階のひと時だけを切り取らず、長い目で判断すること
楽しい時は思う存分はめをはずし
ここぞという場合は死ぬほど集中
ON と OFF の
切り分け方を学んだのである。
優子ちゃんに出会えなければ、私はアメリカでの大学の学位は手に入らなったと言い切れる。
時間の遣い方の下手な私と
ただ単に一緒に過ごしてくれただけで
私は彼女の生き方を真似しながら、自然に単位を取っていったのだ。
大学での学生生活を共に過ごした
私のアメリカでの青春時代
一喜一憂をする私の横で、いつも笑顔で許してくれた優子ちゃん
ありがとう。
そして、今でも忘れない。
当時の私の彼が、寮内で浮気をしていたのを発見した時、
私が怒りに
悲しみに身動きが取れなかったあの時
私の心の声を聞き取り、
履いていた靴?その辺に合った靴? とにかく靴をものすごい勢いで
放り投げてくれた
いつもCOOLな優子ちゃんが
粋な優子ちゃんに
変身した日。
あの時は本当に嬉しかった。
今じゃすべてが愛おしい思い出だね。