いずれ社会に飛び出すマレーシアで学ぶ娘たちへ!私が出会った初めての社長さんの話。

大学卒業したての私は、社会人としての第一歩を鳥取県米子市という、ちょっぴりマイナーな(米子市民の皆さますみません。個人的には大好きな場所です)ところでスタートすることとなりました。

誰でもそうだと思いますが、学生のワクワクとはちがって、不安のほうがはるかに上回ることでしょう。会社に行くというのは、これまでの培った能力を出すという実践の場所なのでなんだがこれまでの自分が試されるみたいな気持ちでいたことを思い出します。

私は、そのころ紙は茶色、ソバージュ(今や私語か?!)バリバリの娘だったため、入社初日までには、美容院に行き、とにかく今の印象とは逆にして?とお願いしたことが懐かしい。

で、出来上がった、新しい私の紙は習字の黒墨のごとく『真っ黒』それによりソバージュも主張が弱まったと思う。

そして、会社とは、今思えばそれぞれ経営者・経営理念によって同じであることはないのだが、やはり今振り返ってみても最初に入社した場所が、自分の働くルールの基礎その土台を創り上げてもらっと感じることが今もある。

当時、その会社の社長さんは、30代の半ばだった。世の中の社長の平均年齢は59.7才・・・2015年調、ずいぶんの若手の社長さんである。20台半ばの私からしたら、10歳そこそこの違いなのだが、当時は社長のとてつもなく大人に見えた。

その社長さんとの出会いと、そして米子での日々が今の私の礎であることは間違いない。そもそも社長は、会社にあまりいなかった。そして社長と話をすることは新人の立場ではあまり必要がなかった。それでも、社長は、時に新人の私たちのところにやってきては、質問を投げかける。私は、そのなぞなぞのような一見答えのない質問に答えることが好きだった。
答えのない質問をたくさん投げかけてくれる社長には、いつも答えは一つじゃないことを教えてもらった。

たくさんの学びの機会を頂いた社長から今も大切にしている教えがある。
それは、
社長:あのね、君はいつか経営者になるんだよね。経営ってね、これがあってるとか、これが正しいとかベストってないんだよ。それはどういうことかというと、例えば、僕の場合、人から見たら、クールな経営者、時に冷酷な経営者等々人からの印象で言われること君もしっているよね。
まぁ、人からの印象はどうでもいいんだけどね。
仮に僕がクールな経営だとしたら、それは僕のスタイルなんだよね。
僕と君は全く違う人間だよね。
だから、君がもし経営者として成功するならば、自分に合ったやり方をいち早く見つけてそのように運営することなんだよ。
ちなみに、成功なんて何をもって成功っていうのかはそれぞれ何だけでね。

このシンプルなことが本当の意味で理解できて来たのはここ最近なのかもしれない。
立場柄、多くの経営者さんと話をしたりお会いしたりすると、どうにも憧れからからか、コピーしたいという欲求が高まる。そして、結局は続かない。なぜなら、お互いの人間性や強味が同じではないからだ。

自分に合ったやり方、強味を早いうちに見つける。これってなかなか難しい。でも、仕事は一生ものだから、得意を活かした方が優位だし楽に違いない。

苦手なものを克服することばかりを言われて育った私たち!でも本当は、好きな事を追求することの方がいいのだろう。

娘たちへ、勉強だと思わないで、今やっている事の中で、何が自分の興味を最もひくかをよーく観察してごらん。
そして、好きな何かを見つけたら超ラッキー、そのことに、より多くの時間を割いたらいい。全部オールマイティによくなくたって大丈夫だよ。ママは、得意なことを活かす自分のやり方に合った人生の先に成功を教えてもらって実践して今があるから、、、、

ちなみに、最初に出会った素敵な社長さんは、企業価値を上げたうえで会社を売り、多額の富とともに今は不動産オーナーとなった。東京にも家を構えたと聞いた。
米子と東京を行ったり来たりしていて、毎年送られてくる年賀状は、たいがい私が行ったことのない海外での笑顔の写真だ。

この記事を書いた人

アバター画像

喜稀今日子

3人の女の子の母親です。葬儀社の経営の仕事をしながら子育てと地域活動に参加しています。忙しといいながら、プライベートでの新しいことへのチャレンジは必須です。
新しい発見を発信していけたらいいです。
喜稀 今日子(きき きょうこ)

詳しくはこちらにどうぞ。