何かのきっかけで、行きつく過去には、きっと大切な何かが隠されている。

  弊社の持つ葬儀会館のうちの一つ、甚目寺のセルカホールには、小さな公園?!がある。
会館を建築する際に、この公園だった場所は、地域の皆さんの火葬場だった。

火葬と言っても建物があるわけではなく、囲いがあり、その中で火葬をするという本当にシンプルなものだった。もちろん、野外で、、、、。

それが、長い間利用することもなく、時を経て不気味な雰囲気さえ醸し出し、地域の方としてもどうすることがいいのか、またどうするべきかも迷っておられたのだろう。

そして弊社がこの場所に葬儀会館を建設するタイミングで、この場所を甚目寺町から購入し譲り受けることとなった。

私は、この場所が駐車所として踏みつけられることがあってはならないと思った。
なぜなら、この場所は先祖の皆さまが空への旅立ちを迎えた神聖な場所だと感じたからだ。

土地を鎮めるための石碑を『縁』とデザインし祀ろう。(このデザインは、今は夫となった当時は彼だった、、、、に依頼して文字お越しをしてもらった)
緑をいっぱいにし、ベンチを置き、おじいちゃんとお孫さんがすわって休憩してくれるような場所になったら嬉しいな、
とそんな思いで建立した。

この場所が更地になる前に、地元地域を司っている寺院の方を現地に招き、供養のお経もあげていただいた。
青空の下、宗派を超えた寺院の方々の集合、そして儀式はそれはそれは神聖なものだった。

その時、この土地でお葬儀をさせてもらう事、地域の皆さまにとって役立つ企業であれるようにと誓ったこと、、、

その公園が、半年草取りを放置していたせいで、乱れていると会長=父が言った。

あの日、社員さんの時間にも余裕のある、草取りには絶好のタイミングの日だった。
全員とは言わないまでも、かなりの人数で甚目寺会館にいった。
それぞれが、それぞれの場所にわかれ、草と自分との向き合い無言の時が流れた。

その間、公園がなぜこの公園として生まれ変わったのかをフラッシュバックしていた私。

正直、私も、社員さんも最初は
『草取り、めんどくさいな、暑いな、』と思っただろう。

しかし、草取りを始めたら、その感情より強烈に、あの日の自分の志に気づいていく自分。
再びあの日の私に出会う瞬間があったのだ。

後は、もう感謝しかない。

あの日の彼は今は夫である感謝
地域には会館の認知もあがり、お役に立てるようになってきている実感と感謝
この場所で数々の地域に貢献できるイベントを行うことができる感謝
父=会長と餅つき大会を行い、餅なげをして地域の皆さまとふれ合う感謝
地産の物と販売しながら相互交流として役立てた感謝

疲れや熱さをぶち飛ばす、感謝の嵐に私はいつも以上に張りきらせた。

だから、今日は、心地よい疲れに筋肉痛がプラスされている。

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喜稀今日子

3人の女の子の母親です。葬儀社の経営の仕事をしながら子育てと地域活動に参加しています。忙しといいながら、プライベートでの新しいことへのチャレンジは必須です。
新しい発見を発信していけたらいいです。
喜稀 今日子(きき きょうこ)

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