なぜ、母は好き好んで葬儀社に嫁いできたんだろう?をマレーシアにいる娘に伝えたいわけ!

そもそも母は、なぜ葬儀屋なんかにお嫁にきたのか?

葬儀屋を馬鹿にしているのでない。葬儀という特殊な職業の家に嫁いできたのだろうか?という意味でとらえてほしい。

母と父はお見合いでの結婚だったようだ。
ということは、母は、父の情報を事前に把握したうえでのお嫁入りという事になる。

この話、かつても母に聞いてみた。
私:なんでわざわざ、葬儀屋にお嫁にきたの
母:私は、絶対 商売やさんに嫁ぎたかったの。仕事を自分の自由にやってみたかったんだろうね。 
私:じゃ、葬儀である必要ないじゃん
母:そうだね。私は、岐阜の山の出身でね。神式の生まれだったし、葬儀屋さんなんて馴染みがなくてね。葬儀屋さんって聞いて、表具屋さんの事だと思っていたんだよ。

って、本当か?うそか?わからない。でも母の答えはこうだった。

そして、仕事をスタートした頃から今に至るまで、小さな母の大きな動きと心遣いにたくさんのお客様に支援を頂いてきた。

母:昔ね、街の長老が仕事の時に、突然私の手を取ってね。『○○(母の名前)お前の手は本当によく働いた手だね。どうせ葬儀屋さんに嫁いで仕事しているんだから、このまち一番の葬儀屋さんになるんだよ。○○ならできるから。と言われた言葉がね。私の支えなんだよね。

この振り返りをしながら、私はあることに気が付いた。
この言葉の意味が、ただの想い出話以上に私の心に力を持ち始めている。

子供たちを海外に旅出せたのは、未来を思うが故の母心。でも、私が今日、このように思いついたことを、思いついたままに、ほとんどの場合、諦めるこのなく行動に移すことができるのは、父のと母の家業のおかげであると、当たり前すぎてその大きさや重みや深さを分かりきろうとしなかった私がいる。

このままじゃ、地域が私たちの会社を育て、私をここまでしてくれたことに恩返ししないままになりそうだ。 子供たちにルーツや背景を伝えなくては子供たちが今ある様々に感謝できなくなるかもしれない、

つづく・・・

この記事を書いた人

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喜稀今日子

3人の女の子の母親です。葬儀社の経営の仕事をしながら子育てと地域活動に参加しています。忙しといいながら、プライベートでの新しいことへのチャレンジは必須です。
新しい発見を発信していけたらいいです。
喜稀 今日子(きき きょうこ)

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