私のルーツをマレーシアに住む娘に伝えたい

母と、私の違いは、自らの選択の意志で、葬儀屋の職業についた母と、その母の選んだ場所に生まれた私。選んだわけではないかもしれないが、必然だと思うのにはゆっくりと時間をかけてここまできたという感じだろうか?

街で一番の葬儀屋さん。
一番って、何をもって一番なのか?

私たちは大手ではない。出店スピードや投資額を比較したら最初から負けを認めなくてはならない。が、母が繰り返し行ってきた、もう一人の家族のように対応する心遣い。父が式典において、お客様と共に考え、答えを出していくスタイル。これらを、私が受け、どうバージョンアップしていくのか?そして、二人からスタートしたものを、どのように育てていけるのか?

とにかく、今は集中して、このことをとことん試してみたい自分がいる。それは、決して母が行ったスタイルを真似するのではなく、父が行ってきた事と同じというわけではない。二つを融合したうえで、私なりのスタイルを確立することだ。

私は、二人がミックスした上っでの副産物であることをじわじわと感じている。
お客様にとって、ともに歩んでくれる社員の皆さんにとって、家族にとって、私にとって、昨日より、明日がよりよい日となるように積極的に生きていく覚悟を今改めて感じている。

昔、忙しくて母との時間がなかった私は、幼いころ、どうも母のことが理解できず好きになることができなかった。それは、圧倒的な時間の不足によるものだ。

しかし、現代を生きる私たちは、今こんな風に今つづった言葉が、どの場所にいてもタイムリーに伝わるわけで・・・・。

子供たちもいつか、ママになった時、私が母を語るように、彼女たちが私をどのように語るのか?

子供にとって、いつも輝いていたママがいたといってもらえるように、今日も全力で生きている。私。

この記事を書いた人

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喜稀今日子

3人の女の子の母親です。葬儀社の経営の仕事をしながら子育てと地域活動に参加しています。忙しといいながら、プライベートでの新しいことへのチャレンジは必須です。
新しい発見を発信していけたらいいです。
喜稀 今日子(きき きょうこ)

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